富士写真フイルム / FUJINON 1:1.4 / 50
短命だった初期型
このレンズは1970年に発売されたフジカ初の一眼レフカメラ(厳密にはそれ以前に輸出専用のフジカレックスというカメラも存在しますが)であるフジカST701用の標準レンズとして設計されたものです。富士の一眼レフカメラへの参入は他社に比べると時期的にかなり遅く、初代のST701はM42マウントの絞り込み測光式という極めてオーソドックスで手堅い仕様となっていました。1972年には後継機のST801が登場し、レンズとカメラの間で絞り値の情報を伝達する機能が追加されて開放測光式となりますが、その対応のためにレンズ群もEBCコーティングが施されたタイプへと一新されます(レンズマウント側にも連動機構が必要となったため)。つまり絞り値の伝達機能がない初期型/非EBCタイプのフジノンレンズの販売期間はわずか2年間ほどと短く、また普及価格帯用に別途用意されたf1.8の標準レンズ(FUJINON 55mm f1.8)付きの方がよく売れたためか、このf1.4の初期型は生産量もあまり多くはないようで、現在では比較的珍しいレンズとなっています。
f1.4の標準レンズとしては全長がかなり短め。鏡胴の太さもあいまって、やや寸詰まりな印象を受けてしまうような外観です。フィルター径は49mm、絞りはf1.4~f16まで半段クリック付きの6枚羽根、最短撮影距離は45cm。ごく一般的な自動絞り式のM42マウントレンズですが、オート/マニュアルの切り替え機構がないためマウントアダプターなどで使用する際には「ピン押しタイプ」でないと絞りが開放のままになってしまいます。
総金属製の鏡胴で、ピントリングの先端と絞り環のシルバーがアクセントになっています。これは初期型タイプに共通するデザインで、オールブラック&ピントリングに樹脂パーツが貼られた後のEBCタイプのレンズより、個人的にはこちらの方が外観的にも操作感的にも好みだったりします。絞りが半段刻みなのも好印象ですしね(EBCタイプは1段刻み)。
アトムレンズ
このレンズは硝材に微量の放射性物質を混入させることで高屈折率・超低分散化が図られた俗に言う「アトムレンズ(放射能レンズ)」が使われていることで知られます。1950年代~70年代初頭にかけての高性能レンズにはよく見られた手法なのですが、後にレンズ自体から出る放射線によりガラスが著しく黄変(茶褐色化)してしまう「ブラウニング現象」が問題となって使用されなくなりました。この個体も入手時にはレンズ内が変色して飴色のようになっていたものの、以前からあちこちで「紫外線を当てることで改善できる」という情報を目にしていたこともあって、自分でその黄変レンズの改善策を試してみることにしました。
使用したのはこちらの製品。本来の用途はネイルやフィギュア用のUVレジンを硬化させるための装置だそうです。このフジノンには前群と後群それぞれにアトムレンズが使用されているため、効率よくUV光を当てるためにレンズを前後に分割して装置内に入れ、長時間の連続使用は機器への負担が大きいようなので、適度なインターバルを取りながら一週間ほど照射を繰り返してみました。結果的には最初の数日間だけでもかなりの改善が見られ、ほぼ気にならないレベルになります。ただ、それ以降はどれだけ照射をしても弱いアンバー調の色味が消えずに残るため、これはブラウニング現象とは関係のないレンズガラス自体の色かコーティングの影響だろうと判断して終了することに。よって、やや温調の色味が残ってはいるものの、私が実用で使う範囲内では特に悪影響を感じない程度には改善ができました。
1972年のフジカST801発売時の変更点は鏡胴デザインとコーティングのEBC化のみであったようですが、さらに2年後の1974年にフジカST901が発売された際には光学系も刷新されたらしく、外観面でもかなりの変化が見られます。最も目立つのはレンズの長さで写真のように隣に並べてみるとその違いがはっきり分かります。高屈折率のアトムレンズの使用が中止となったために全長が伸びてしまったのでしょうか?逆に、この新型のフジノンでは黄変などは全く見られません。つまりM42マウントのフジノン 50mmf1.4には今回の初期型(アトム)、EBC前期型(アトム)、EBC後期型(非アトム)の3種類が存在することになります。この中では初期型が最も数が少なくて知名度も低い気がします。
レンズ構成は6群7枚。開放値f1.2~f1.4クラスの大口径標準レンズに多く見られる第2群の貼り合わせ面を分離し後部に1枚を追加した変形ダブルガウスタイプです。ここにアトムレンズを使用することでさらなる性能の向上を図ったものと思われ、かなり気合いの入った設計であったことが窺えます。よく似た例としては、同じく6群7枚でアトムレンズを使用した旭光学のスーパータクマー(Super-Takumar 50mm f1.4/1965年)が有名です。
フジカST701(初期型)に装着しました。素朴なデザインなのであまりそうは見えないかもしれませんが、このカメラはボディのサイズが非常にコンパクトにまとめられており、発売当時の一眼レフカメラの中では最小クラスを誇りました。セルフタイマーレバーの横にある絞りプレビューボタンを押している間だけ露出計が作動する仕組みで、実絞りタイプの露出計内蔵M42マウントカメラとしては、スイッチ式のペンタックスSPやそれを参考にしたと思われるベッサフレックスTMなどより個人的には使い勝手が良いと思っています。
描写テスト
1:まずは遠景を絞り開放とf8で
絞り開放。周辺減光とフレアの影響から全体的にやや甘さが見られます。ただ解像力自体は意外とあり、周辺部まで結像が乱れず均質に描写をしている点はかなり優秀だと思います。
絞りはf8。安定した写りです。開放時の甘さは消えて周辺まで緩みのない画質となりますが、コントラストはさほど上がらずカリカリにはなりません。穏やかな印象を受けますね。
2:次に中距離の被写体を撮り比べてみます
絞り開放。やはり周辺減光と全体的な甘さは見られるものの、独特な柔らかさと大らかさがあるようにも感じます。遠景と同様、周辺部までしっかりと解像している点はさすがです。
絞りはf4。もちろん問題はありません。コントラストが低めの写りというのは人によって好みが大きく分かれる部分かと思いますが、私はこういった繊細で優しい描写が好きです。
絞り開放。後ボケに弱い二線ボケが見られるものの、それ以外は特にクセもなく自然で安定していると思います。逆光に近い撮影条件でも画面への悪影響はそれほど感じられません。
絞りはf5.6。優しくて柔らかな印象は変わりません。ややメリハリには欠けますけど…。
3:最後は近距離の被写体での撮り比べ
絞り開放。後ボケを見ても分かるように、本当にクセのない端正な写りをするレンズです。
絞りはf5.6。これくらいの距離で撮影をした時の描写が一番安定している気がします。
絞り開放。よく整った後ボケに柔らかで落ち着きのあるトーンと独特の空気感が魅力です。
絞りはf4。開放時のふんわりした空気感は消えますが、優しい印象は絞っても残ります。
フジノンで撮る別所線の沿線風景/カメラ:SONYα7
正月に帰省した際に、上田電鉄別所線の沿線を歩きながらフジノンで撮影をしてみました。
※画像右下のルーペマークをクリックすると、合焦部分の拡大画像が表示されます。
※撮影時の設定、データの処理等についてはこちらをご参照下さい。
初詣に生島足島神社へ。これは境内で縁起物のお焚き上げをしているところ
開放からクセのない非常に素直な写りです
逆光にはそこそこ強いと思います
開放から端正で整った描写をする非常に優秀なレンズだと思います。誇張のない自然な写りというのは下手をすると没個性的にもなりやすいものですが、このレンズの場合は均質かつ細やかに解像している画面の上をふんわりとした独特の柔らかさが覆うため、何を撮っても優しく穏やかで上品さの漂う写真となってしまう点が特筆すべき個性と言えるでしょうか。
ただ、前述のように著しく黄変してしまっている個体が多いためか、あまりその描写の魅力などについて語られる機会が少ないように感じるのはなんとも残念ではあります。あるいはコントラストの低さやメリハリのなさが気になる方もいらっしゃるでしょうが、そういった場合はマルチコーティング化された次世代のEBCタイプ(前期型)を選択するという手もありかもしれません。いずれにせよ、もうちょっと再評価をされて欲しいレンズですよね。
織物提供:小岩井紬工房