真田氏時代の上田城考/その②

自説を述べる前に

真田氏時代の上田城についての仮説を述べる前に、まず確認しておきたいことがあります。それは「仙石氏の復興した上田城の縄張りは、基本的に真田氏時代を踏襲している」という大前提です。私はこれを全く疑いませんし、別方向からのアプローチも考えてはいません。

真田氏時代の上田城の縄張りについて考察する上で参考となる史料は何点か知られており、

まず仙石忠政が城を復興する際に書いたとされる「おぼへ書」に

  • 二の丸の堀は年内に完成させること
  • 古城の歪んでいる部分では堀の幅が十五間以上になっても構わない

と記述されていることから

  • 二の丸の堀を新規に掘ったにしては完成までに要する期間が短かすぎる(「おぼへ書」が書かれたのは起工を前にした寛永三年の5月で、そこから年内、つまり12月までに完成させるようにと指示している)
  • 仙石氏の復興した本丸の堀幅が十六間なのは、古城(真田氏時代の上田城)の歪みがあった部分をまっすぐに直したからではないか

との指摘があり、つまりは仙石氏は関ヶ原後の破却で埋められた真田氏時代の上田城の堀をほぼそのまま(歪みを正して)掘り返したのではないか、とする説の根拠となっています。

また、

真田氏の築城当時の様子を描いたとされる天正年間の上田古図、城の破却が行われた直後の信之の藩政時代(元和年間)に描かれたとされる絵図を見る限り、破却される前の上田城も基本的には仙石氏の復興後と同様に、千曲川(尼ヶ淵)の断崖を背にした梯郭式の縄張りの城郭であったことが窺えます。

さらに、

現在の本丸の堀底、二の丸(北西付近)の土居からは真田氏時代のものと思われる金箔瓦が出土しており、破却が実際に行われたこと、その際に出た建物の残骸が堀底に投げ込まれて埋められた可能性が高いことも分かっています。

これらをまとめると

  • 真田氏時代の上田城の縄張りは仙石氏の復興後と同様の梯郭式であったと思われる
  • 仙石氏は埋められていた堀をそのまま掘り返した可能性が高い(一部か全部かは不明)
  • 復興された堀の底から真田氏時代の遺物が出土している(=真田氏時代にもその場所が堀であったことはほぼ間違いない)

ということになり、これが「仙石氏の復興は破却前の姿への原状回復に近いものだった」とする説の有力な論拠とされていて、私もこれを支持します。もちろん「古城の歪みは~」の部分からも読み取れるように、必ずしも完全な復元が目標とされたわけではなく、近世城郭としての体裁を整えつつの復興ではあったのでしょうが。

そもそも、いくら「徹底的な破却」が行われたとはいえ、堀や土塁がまっ平らな状態になるまで埋められたり崩されたとは到底考えられず(堀や土塁が持つ防御機能を失わせられれば破却としては十分に「徹底的」なのであって、それが決して「跡形もなく消し去ること」と同義ではないのは、各地に残る破却された城跡を見ても分かります)、広大な二の丸北側の水堀に至っては、あの全てを埋め尽くすことなど物理的にもほぼ不可能で、おそらくは水を抜かれる程度の処置だったのではないかと思われます。

上田城について書かれた解説などを読んでいると、よく「真田氏時代の上田城は関ヶ原後に徹底的に破壊されてしまい、本丸がどこにあったのかも分からない」などと書かれた文章を目にすることがあります。残された史料が少ないため、この説明内容でも嘘や間違いはないのですが、「現在目にすることが出来る上田城の姿は、真田氏とは関係のない全くの別物」という部分がことさら強調されている点が少し気になります。

「徹底的な破却」という言葉が実際の意味を離れ一人歩きした結果のようにも見えますが、思うに、こういった表現をする書き手の心理にあるのは「それほどに徳川から恨まれ、忌み嫌われ、恐れられ、且つその痕跡自体を消し去りたいと思われる存在だったのだ」という、真田が持つ「アンチ徳川」としてのヒーロー性を際立たせたいが故の修辞的欲求なのかも。

ただ、その論理でいくと「真田が徳川を苦しめれば苦しめるほど、その後の徳川の仕返しは徹底的であったはず(願望)」ということになり、上田城における真田の活躍を強調すればするほど、逆に現在の上田城が真田から遠ざかってしまうというジレンマも増すわけで…。

話を戻しますが、やはり仙石氏は真田氏時代の上田城の縄張りを大筋において踏襲した、と私は考えます。堀を造るにしても、土塁を築くにしても、一度開削された後に埋め戻された場所を掘り返すのと、全く新規で一から地面を掘るのとでは掛かる労力が全く違いますし、土塁だって崩してあるとはいえ、途中から築き直したほうが楽に決まっています。なによりその堀や土塁で構成されたオリジナルの上田城の縄張りの優秀性は、実戦経験において既に証明済みだったわけですからね。

…と、文章ばかりでちょっと長くなりましたので、今回はここまでにします。

 

参考文献:『定本 信州上田城』(郷土出版社)

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