シュタインハイル / Orthostigmat 1:4.5 f=35mm VL
オリジナルはカスカ用
ドイツの老舗光学メーカー、シュタインハイル社が戦後間もなく発売した広角レンズです。もともとは同社が手掛けた唯一のカメラシリーズである カスカ(CASCA)のⅡ型用に設計されたレンズだったようですが、当時最先端の各機構を備え、斬新なデザインに身を包んだカスカⅡ型も残念ながら商業的に成功することなく短命で終わってしまい、供給先を失った交換レンズ群はライカLマウントなど別のカメラマウントに換装して販売されたのだとか。
このオルソスティグマットの他にも、キノン(Quinon 50mm f2)やクルミナー(Culminar 85mm f2.8/135mm f4.5)のライカLマウント用が存在しており、クルミナーは一眼レフ用マウントの個体を見掛けることもあるので、それなりのロングセラーにはなったようです。
開放値が抑えめのレンズのためか外観は非常にコンパクト。回転ヘリコイドによる繰り出しで最短撮影距離は1m。絞りはf4.5~f16まで不等間隔のクリック付き、羽根は9枚です。見た目は小柄ですが、真鍮(砲金?)製の鏡胴なのでズシリとした重みがあります。
戦後の連合国軍による統治下で生産されたレンズには<Made in Germany US Zone>という表記が見られ珍重されているそうですが、この個体は単に<Made in Germany>と書かれているので、シュタインハイル社のあるミュンヘン市(バイエルン州)がアメリカの占領から解放された後に生産された製品ということになるようです。ちなみに同時期の日本製品には<Made in Occupied Japan>の表記が。どちらにしても嬉しいものではありませんよね…。
レンズ構成については諸説紛々としており、判然としません。戦前にシュタインハイル社が設計した2群6枚構成のオルソスティグマットタイプ(3枚貼り合わせのレンズを対称型に配置したもの)と書かれているものもあれば、4群6枚構成のオルソメタータイプだと説明されているものもあり、また4群4枚構成であるという記述も見たことがあります(これはもしかすると同社のクルミゴン35mm f4.5と混同されているのかもしれません)。さらには途中で2群6枚から4群6枚へと設計変更になったと解説されたものまであるんですよね。手元のレンズの反射面を見る限りでは2群6枚構成のようにも思えるのですが、自分で分解してまで確かめる勇気もありませんので、信頼できる情報が出てくるのを待ちたいところ。
メッキの質はあまり良くないものの、鏡胴はとてもしっかりとした造りです。側面から出ている2つの丸い突起はこのレンズの外観的な特徴でもあるユニークな配置のピントレバー。カスカ用の交換レンズにも同様のレバーが見られることから、マウントが換装される以前のデザインがそのまま残ったものと思われます。なお、無限遠ストッパー機能はありません。
ぴょこんと飛び出た2つの丸いピントレバーの形から、このレンズは「ミッキーマウス」の愛称で呼ばれることが多いようです。個人的にはむしろ「カエル」とか「大口を開けた鯉」のように見えて仕方がないのだけれど…。まあ、愛称が「カエル」ではちょっと締まらないかな?外観がキャラクターや動物に例えられるレンズというのもなかなか珍しいですよね。
フィルター径はライツ社のズミター(Summitar 5cm f2)と同じ36.5mmという特殊径。これはカスカ用からの転用レンズに共通している特徴で、キノンやクルミナーも同様です。
このレンズにフード等を装着させるには、36.5mm→39mmの変換リングが必要です。ライツの純正品やその代替品もありますが、それなりに高価なため、私は36.5mm用のフィルターを中古で安価に購入し、前側からガラスを押さえているリングを取り外すことで代用品としています。リング用に切られた前枠のネジが39mm径である製品が多いので。
上記方法でフィルター径を39mmに変換し、宮崎光学(MS-OPTICS)のMS-39フードを装着しています。このレンズはピントリングの回転方向がライカレンズとは逆向きになっていて(おそらくカスカ用のレンズであったことに由来すると思われます)使用中に混乱することが多いため、ピントリングはなるべく無限遠位置に固定したまま、フォクトレンダーのヘリコイドアダプター(VM-E Close Focus Adapter)の方を回してピントを合わせるようにしています。いざとなれば鏡胴側を繰り出して最短撮影距離を縮めることも出来ますしね。
遠景描写テスト
松原橋から見た鴨川を絞り開放とf8で
絞り開放。盛大な周辺減光が見られ、周囲がドーンと落ちています。やや線が太い描写ではありますが、四隅の角付近が甘いことを除けば全体的に均質な解像をしていると思います。
絞りf8。周辺減光はまだ少し残るものの、それほど気にならないレベルに。ただ、解像度は開放からあまり変化が見られず、四隅の甘さも残ったまま(センサーとの相性もあるかもしれません)。コントラストは中庸で、シャドー部分が潰れずに残るのは好ましいですね。
オルソスティグマットの開放描写/カメラ:SONYα7
上の遠景描写の比較でも分かる通り、このレンズを絞った時の描写変化は周辺減光の緩和と被写界深度が深くなる程度で、解像度や周辺画質の面ではそれほどの向上は見られません。つまり周辺減光さえ気にしなければ絞り込む必要性は特にないともいえ、ほとんどのカットを開放のままで撮影してしまうことが多いです。そんなわけで、以下に掲載する写真も注記しない限りは全て「絞り開放」で撮影したものになりますことをあらかじめご了承下さい。
※画像右下のルーペマークをクリックすると、合焦部分の拡大画像が表示されます。
※撮影時の設定、データの処理等についてはこちらをご参照下さい。
甘い描写のようにも感じられますが、合焦部分の解像感はそれほど悪くはありません
穏やかなトーンで柔らかい写りをするレンズなので、そのような印象を受けるのかも
このような場所に出会うと嬉しくなりますね。道が微妙にうねりながら下っているところがたまりません。ここでは周辺減光がプラスに作用して、良い雰囲気を演出してくれています
ローキーな写真って最近ではあまり撮らなくなったんですけど、このレンズの独特な描写を楽しんでいると、ついついこういったアンダー調の写真が多くなってしまうから不思議です
開放付近での後ボケは少しザワつきますが、変なクセは見られず素直に崩れます
ハイコントラストな場面でも硬調にならないのが良いですね
縮小画像では潰れ気味ですが、シャドー部分の情報量もしっかりと残っています
ボケが美しいわけでもないのだけど、妙に存在感のある描写にゾクッとさせられます
解像力で勝負するレンズではありませんし、周辺光量の低下は盛大、四隅の描写も甘めと、スペックマニアの方からは完全無視されてしまいそうなレンズではありますが、実際に撮影してみると意外や意外、そういったマイナス面はほとんど気にならず、穏やかなトーン表現と独特な質感描写をする非常に魅力的なレンズであることが分かります。開放値の暗い広角レンズの妙味はライツのサンハンのズマロン(Summaron 3.5cm f3.5)を愛用して知ってはいたものの、このオルソスティグマットもまたそれに負けず劣らず味のあるレンズだと思います。その描写性がすっかり気に入ってしまい、最近ではカメラに基本装着しているほど。暗いレンズというのはなかなか食指が動きにくいものかもしれませんが、目の覚めるような刺激性は持たずとも、噛めば噛むほど旨みの出る滋味豊かな描写をしたりもするんですよ。
織物提供:小岩井紬工房