ベルテレが設計したレンズ? / Sトラベゴン S-Travegon 35mm f2.8 R

A.シャハト / S-Travegon 1:2.8/35 R

 

トラベゴン

シャハト社は、1948年に旧西ドイツのミュンヘンで創業したレンズメーカー。後にウルムに移転、ライカ用や一眼レフ用の交換レンズを生産しましたが、1970年頃に経営の売却などによって消滅したそうです。その製品の名称は「トラベナー」「トラベガー」「トラベゴン」「トラベロン」「トラベノン」のように「トラベ+○○」で統一されており(由来は旅行のトラベル、人名のトラベン、ラテン語のトラベなど諸説あるようです)、このレンズの場合はギリシャ語で「角度」を意味する「ゴン」が付けられて「トラベゴン」となっています。

老舗の多いドイツのレンズメーカーの中では後発組であり、製品のラインナップも一貫して中級路線を守ったことから、特別なブランド力は持たず、目を引くようなスペックのレンズもなく、また低価格帯の製品もあまり存在しないためか、現在に至るも「地味な中堅レンズメーカー」という印象を拭えません。生産量はそれなりに多いので希少性も低いですしね。

外観①

発売されたのは1961年。当時はまだレトロフォーカスレンズの黎明期であり、一眼レフ用の広角レンズはどれも非常に大柄なサイズのものが多かった中で、このトラベゴンは驚くほどコンパクトな鏡胴に収められています。ゼブラ柄仕様の外観が少し安っぽく感じるものの、それは当時の流行なので仕方がないとして、ハッセルブラッドやデッケルマウントレンズに見られるような絞りと連動する可変式の被写界深度スケールなどはとても凝った機構です。

外観②

マウントはM42。後部が突出しているため、使用する一眼レフカメラによってはミラーと干渉するかもしれません。マウント基部にある突起は絞りの「A⇔M」切り替えスイッチ。
絞り羽根は6枚で、f2.8~11の間は半段クリック付き。最短撮影距離は0.5mです。

 

ベルテレの設計?

シャハト製のレンズの設計については、その多くをカール・ツァイスでゾナーやビオゴンを発明したあの天才レンズ設計家、ルートヴィッヒ・ベルテレが手掛けたと言われています。残された資料が少ないため、どこまで確実な情報なのかは分かりませんが、特定のレンズに関しては可能性がかなり高いとも言われていて、このトラベゴン35mmもその中の一本。他には90mmのトラベナー(Travenar 90mm f2.8)なども有力視されているようです。

トラベゴン35mm/トラベナー90mm
トラベゴン35mmf2.8とトラベナー90mmf2.8

 

情報の真偽は不明ですが、私はこの35mmのトラベゴンについては可能性がかなり高いのではないかと思っています。理由は、そのあまりに特異なレンズ構成を見てしまったから。

travegon3528el
S-Travegon 35mm f2.8

このレンズ構成図を最初に見たときの驚きと興奮は、ほぼ同時期に作られたレンズでもあるコンタレックス用のディスタゴン(Distagon 35mm f4)のレンズ構成図を初めて見たときと同等かそれ以上のものでした。3群7枚、一眼レフ用のレトロフォーカスレンズで3群構成というのが何よりも衝撃的で、f2.8クラスに7枚ものエレメンツを使う贅沢さにもまたびっくり(ちなみにディスタゴンは4群7枚。こちらは超高級レンズなので納得ですが)。

トラベゴンには前身となるf3.5のレンズがあって、そちらは3群6枚。第2群の後部が貼り合わせのない一体構造になっていることを除けば、ほぼ同様のレンズ構成といえます。
この3群構成への異様なまでのこだわりと、貼り合わせの多い、他のどのレンズとも異なる独自の設計思想。こんな奇抜なアイデアを出せるのはベルテレ以外にそうはいないかと…。

クイズで『ベルテレが設計したレンズです。同じ焦点距離で明るい方が3群7枚、暗い方が3群6枚。さあ何でしょう?』と出題されたら、レンズ好きなら誰もが「5cmゾナー!」と即答するはずです。しかし、もしトラベゴンが本当にベルテレの設計であったとすれば、こちらも回答に加えなければならなくなりますよね。まあ、見方によってはゾナーレンズの第1群に凹レンズを貼り合わせたものがトラベゴンと思えなくもないので、遠い親戚かも?

なお、同じシャハトの35mmレンズでも、トラベナー(Travenar 35mm f3.5)はこれとはレンズ構成が異なり、またf3.5のトラベゴンにも4群5枚構成のものがあるようです。

使用例
使用例

フィルター径は49mm。専用フードが存在するのか知りませんが、ここではhama製の角型フードを装着しています。シンプルなデザインで非常に使い勝手の良いフードなのに、なぜか現在は入手困難になってしまい、中古品が新品時より高額で売られていたりします。こういった汎用性の高い角型フードはもっといろいろな種類の商品があってもいいはずだと思うのですが、今のところUNのスクエアーフードくらいしか選択肢がないのは残念です。

 

遠景描写テスト

五条大橋の上から絞り開放とf8で撮ってみました。

絞り:開放

合焦部分の拡大画像絞り開放での遠景撮影。フレアと周辺減光は見られるものの、全体的にはかなり均質な描写です。周辺部がやや甘いのは解像度の問題というより、多めに発生したフレアが原因かと。

絞り:f8

合焦部分の拡大画像絞りはf8。ここまで絞れば全く問題ありません。カリカリにはならず柔らかい写りです。

 

 

トラベゴンで撮ってみる/カメラ:SONYα7

※画像右下のルーペマークをクリックすると、合焦部分の拡大画像が表示されます。
※撮影時の設定、データの処理等についてはこちらをご参照下さい。

絞り:f5.6

合焦部分の拡大画像絞りf5.6:水火天満宮の紅枝垂桜。桜の写真は画面全体に細かな花弁が散らばるため、レンズの基本性能が問われる難しい被写体です。トラベゴンはなかなか健闘していますね。

 

絞り:f5.6

合焦部分の拡大画像絞りf5.6:乙訓寺の牡丹。嫌味のない発色に、滑らかな後ボケ。瑞々しくも豊かです。

 

絞り:開放

合焦部分の拡大画像絞り開放:淡いフレアと柔らかなボケが、どこか儚げな雰囲気すらも感じさせてくれます。

 

絞り:f4

合焦部分の拡大画像絞りf4:松尾大社の山吹。f4でも弱いフレアが出ることがあります。この写真の場合は発生したフレアが描写に良い影響を与えていないため、もう一段ほど絞るべきだったかも。

 

絞り:f4

合焦部分の拡大画像絞りf4:矢田寺の紫陽花。決して線の細いタイプの描写というわけではないんですけど、その柔らかさの中に繊細な表情が含まれていて好ましいのです。この陰影の捉え方も絶妙。

 

絞り:f5.6

合焦部分の拡大画像絞りf5.6:法金剛院。これくらいの距離、光量の場面での描写はとにかく見事ですね。少しだけ惜しいのは、絞り羽根の六角形がそのままボケに出てしまっている点でしょうか。

 

絞り:f4

合焦部分の拡大画像絞りf4:硬すぎず甘すぎず、この被写体にはちょうど適している柔らかさだと思います。

 

絞り:開放

合焦部分の拡大画像絞り開放:清水寺の夕景。開放・半逆光で遠景をボカしてみました。目に優しい写りです。

 

絞り;開放

合焦部分の拡大画像絞り開放:知恩院にて。このレンズの開放&至近距離での描写には、なんともいえない魅力があります。35mmとしてはかなりボケが大きいようにも思うのですが、気のせいかな?

 

絞り:開放

合焦部分の拡大画像絞り開放:金戒光明寺の西雲院。後ボケに少しバブルボケが出ています。これは球面収差が過剰補正されたレンズに特徴的なもので、開放ではフレアが出て甘く、絞るにつれて性能が向上するという、まさにここで述べたトラベゴンの描写そのものといった特性があります。

 

絞り:開放

合焦部分の拡大画像絞り開放:真如堂。このレンズの開放描写がすっかり気に入ってしまいました。似たような写りのレンズもなくはないのですが、ここまで「甘さ」と「ボケ」のバランスが良いレンズというのは珍しいかと思います。絞って使えばまた別の優れた一面も見せてくれますしね。

 

絞り:開放

合焦部分の拡大画像絞り開放:哲学の道。山茶花の花にフレアがかかることで、その白さが際立って見えます。

 

地味で目立たない外観のレンズですし、その評判を聞くこともほとんどありません。でも、実際に撮影してみると「開けて良し」「絞って良し」の非常に個性豊かな描写をするレンズであることが分かります。一眼レフカメラ用の広角レンズの黎明期に、これだけ高性能かつコンパクトなレンズが生み出されたのは驚きですね。類似する光学系のレンズが他には全く見当たらないのが不思議なくらいですが、もしかすると貼り合わせ面が4ヶ所もある構成のため、スペックの割に製造コストが掛かりすぎるとの理由で敬遠されたのかもしれません。

ベルテレの設計云々という話については、あくまで憶測の域を出ないものですが、私などは勝手に「そうに違いない」と思って使うことにしています。ゾナーもビオゴンも大好きなので、それと同じ血統がこのトラベゴンにも…なんて想像を巡らせるのは楽しいですからね。

海外のレンズ

織物提供:小岩井紬工房

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