知られざる「お滝」の宝庫
東山に点在する行場(垢離場)
先日は伏見稲荷にあるお滝をご紹介しました。ただ、行場としての「お滝」が存在するのは別に伏見稲荷の周辺だけではありません。意外と知られていませんが、実はその北側に続く東山の山麓にもたくさんのお滝が点在しているのです。東山といえば伏見稲荷にも負けない京都を代表する観光地。そんな場所に行場なんてあるの!?と思われるかもしれませんが、前回と同様、観光コースからほんの少し外れるだけで全くの異世界が待ち受けていることに驚かされることでしょう。これこそが京都という土地の持つ底知れぬ奥深さなんですよね。
前回使わせて頂いた「伏見稲荷周辺お滝場マップ」を参考に、私も<Google My Maps>で「東山のお滝」というのを作ってみました。地図の右側に並ぶ丸印がお滝のある場所です。一つ一つの丸印をクリックするか、マップの左上にある記号をクリックすると、それぞれの情報が表示されます。色の違いは、青色が現役の(少なくとも水が涸れていない)お滝で、緑色が涸れてしまっているお滝、水色は詳細が不明のお滝です。調べればまだまだあるとは思いますが、今回ご紹介する場所のみを並べてみただけでも、これだけの数になるんです。
それでは北から順番に訪ねてみましょう!
今回ご紹介する範囲です
赤山禅院
修学院離宮のすぐ北隣にある天台宗のお寺です。平安時代に延暦寺の別院として創建され、京都御所の表鬼門を守護していることから「方除けのお寺」として信仰されてきたのだとか
お寺の入口には鳥居が…
鳥居の奥にある山門。「天台宗修験道総本山管領所」と書かれた門札が掲げられています
なんだか分からないけど凄そうな肩書。千日回峰行と関係の深いお寺だからでしょうか?
山門を入って最初の建物がこの「拝殿」です。拝殿があるということは、もちろんその奥に「本殿」もあります。本殿には「赤山大明神」という神様が赤山禅院の本尊として祀られており、これは都の表鬼門鎮守のために唐の赤山から「泰山府君(道教の神様)」を勧請したものなんだそうです。拝殿に本殿に大明神、この部分だけを見るとまるで神社みたいですね
ところでこの拝殿には面白い特徴があって、屋根の上に神猿が置かれているんですよ
両手に御幣と神楽鈴を持った神猿。なぜ猿なのかというと、表鬼門と反対の方角(南西)を示す動物が猿(申)であり、邪気を払う力を持つとされているからだとか。また、ここからさらに北東の方角にある日吉大社の神の使いの猿でもあるそうです。周囲を金網で覆われているのは夜に抜け出して悪戯をしないようにするため。京都御所の北東角(猿ヶ辻)の塀の屋根にも猿の像があり、こちらも同様の理由で金網に覆われていますし、御所のすぐ北東の幸神社にも猿の像が見られます。つまり猿ヶ辻-幸神社-赤山禅院-日吉大社が神猿の力で結ばれつつ一直線に並んでいるわけで、鬼門対策が幾重にも施されていたことが分かります
鬼門の角を欠いている京都御所の「猿ヶ辻」。神猿は左側の屋根の軒下にいます
猿ヶ辻の神猿。北東の方角を向いており、頭に烏帽子、手には御幣を持っています
金網で覆われている理由は赤山禅院と同じで、悪戯をさせないようにするためとか
こちらは幸神社(さいのかみのやしろ)本殿の神猿。同じように北東方向を向いています
幸神社は御所のすぐ北東に位置し、出雲路幸神社とも呼ばれます
場所は冒頭の「東山のお滝」に示してありますのでご確認下さい
本殿。入口にお数珠はありますが、やはりどう見ても神社のよう
お参りに来たご婦人が「ここはお寺?いや神社だったかしら?」と混乱されていましたが、たしかに神社と間違われても仕方がない雰囲気ではあります。神仏習合を色濃く残しているとも言えますし、本地仏ではなくそのまま「赤山大明神」を名乗っている点では神仏混淆に近いのかもしれません。これでよく明治時代の神仏分離を免れたものだと感心させられます
境内にはたくさんのお堂やお社が並んでいます。これは弁財天のお堂
稲荷社
福禄寿殿。ここは「都七福神」の一つとしても知られている場所です
泰山府君(赤山明神)≒ 福禄寿 ⇔ 地蔵菩薩(本地仏)
という解釈があるからなのか、赤山禅院の境内には地蔵堂もあります
金神社。鬼門方除の神様だとか
御瀧籠堂。このお堂の裏側がお滝です
御瀧籠堂の中。不動明王が祀られていて、その後ろにお滝が見えます
お滝の行場。修験道では水垢離をする場所なので「垢離場(こりば)」とも言われます
さすがに「天台宗修験道総本山管領所」だけあって、現役バリバリの見事なお滝ですね
不動堂。赤山禅院から延暦寺へと上る雲母(きらら)坂にあった
雲母寺本堂が移されたもので「きらら不動堂」と呼ばれています
狸谷山不動院
次に訪れるのは狸谷山不動院。宮本武蔵が吉岡一門と決闘したと伝わる「一乗寺下り松」の横を抜けて、庭園で有名な詩仙堂の脇の道をさらに上った先の谷間にある真言宗のお寺です
こちらは「真言宗修験道大本山」と書かれています。創建の由来は
先ほどの赤山禅院と同様で、都の鬼門除けのためであったようです
本殿へは長い石段を上らなければなりません。これは登り口にある白龍弁財天
石段の途中にある「お迎え大師」。足腰の健康を願って草鞋が奉納されています
石段を上りきった場所にある三社明神堂。その左奥に見えるのがお滝
吉岡一門との決闘を前に、宮本武蔵がこの場所で修行をしたと
されることから「宮本武蔵修行の滝」と呼ばれているお滝です
今でも水は涸れていないものの、狸谷山不動院のホームページを
見る限りでは「現在、滝行はできないが…」と説明されています
不動明王を祀っている本殿は規模の大きな懸造りのお堂です
本殿から見下ろしたところ。手前の広場では護摩焚きや火渡りなどが行われます
麓の自動車祈祷殿の近くにこのようなお滝の案内があったので入ってみました
「修行道場」と書かれた看板があり、狸谷山不動院が整備をしたお滝のようです
しばらく使われていない様子。冬季でお休みなのか、あるいは涸れてしまったのか…
波切不動尊
このお寺は少し分かりにくい場所にあります。狸谷山不動院から行くのなら、詩仙堂の隣にある八大神社の境内奥から山道で低い尾根を越え、住宅地を下った先の三叉路を左折します
入口には灯籠が一本立っているだけ。これがなければ奥にお寺があるとは分かりません
とても小ぢんまりとした境内ですね
不動明王が祀られている本堂。この後ろ側にお滝があります
お滝です。規模は小さいものの、よく管理されている印象
いろいろと祀られてる境内ですが、整頓が行き届いているので雑然とした感じはありません
北白川山のお滝
北白川周辺の地図を見ていたところ、北白川山に「元勝軍地蔵堂」/「照高院宮址」という気になる旧跡の名前があったので行ってみました。これはその途中で偶然見掛けたお滝です
竹林の石段を上っていたところ、右奥に何かがあるのに気付きました
涸れてしまっていますが、これは間違いなくお滝ですよね
お滝の上には御嶽教の北白川教会があるので、その関連施設でしょうか?
照高院宮址には石碑が立っているだけでした。かつては「十三門跡」と呼ばれた門跡寺院の一つだったはずなのだけれど…。そしてもう一方の元勝軍地蔵堂にいたっては、建物自体が跡形もなく消えています。瓜生山の山頂に祀られていた勝軍地蔵堂が江戸時代にこの場所に移されたそうですが、近年さらに別の場所に移されてお堂も取り払われてしまったようです
八大龍王日天寺
北白川から志賀越道を東へと向かい、少し山の中に入ったところにあるのが八大龍王日天寺です。山号は妙法山。このお寺については情報が少なく、詳しい歴史等はよく分かりません
日天寺は志賀越道が山に入ってすぐの場所にあります
入口に鳥居、その奥にはものすごい急傾斜の石段が…(左側に迂回ルートもあります)
石段を上りきると境内です。本堂の正面だけでなく、その周囲にも鳥居がいっぱい!
本堂脇の山の斜面にもお堂やお社などがたくさん祀られています
どうやら写真中央に見えるのは涸れてしまったお滝のようですね
かなりの落差があるお滝です。お不動さんが祀られていたと思われる場所が
空になっているところを見ると、もう既に役割を終えてしまったのでしょう
お滝の水が出ていたと思われる龍の像
龍神宮。あちこちに「龍」が祀られています
一番奥にあるお堂には、南面に八大龍王、東面に妙見大菩薩と猿田彦命が祀られていました
帰りは迂回ルートで。あの一直線の急な石段は、上りは大丈夫でも下りは少し怖いです
迂回ルートの途中には新しいお滝が。こちらも龍の口から水が出るようになっています
おそらく上の涸れたお滝に祀られていたお不動さんもこちらへと移されたのでしょうね
それにしてもすごい急斜面にあるお滝です。なんだか転がり落ちてしまいそう…
入口まで戻って振り返ったところ。左上に見える建物がお滝になります
東山のお滝巡りその①は以上です。このあたりは東山といっても観光コースから外れているため、わざわざ訪れる機会は少ない場所かもしれません(狭義での「東山」は大文字山より南側を指すらしいですし)。ただ、次回からはいよいよ観光地のすぐ隣にあるお滝をご紹介していこうと思いますので、ご存知の場所も出てくるかもしれませんからご期待下さいね。